文科省・新着情報

1.日時

令和2年10月23日(金曜日) 16時00分~18時00分

2.場所

文部科学省3F1特別会議室 ※WEB会議と組み合わせた方式

3.議題

  1. 個別最適な学びと協働的な学びについて
  2. 教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ(素案)について
  3. その他

4.議事録

【天笠部会長】 定刻となりましたので,ただいまから第121回中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会を開催いたします。本日は御多忙中の中,第121回教育課程部会に御参加いただき誠にありがとうございます。
 本部会は,新型コロナウイルス感染症の拡大を防止するため,対面会議とウェブ会議を組み合わせた方式にて開催いたします。
 それでは,会議の留意事項及び本日の配付資料について,事務局から説明をお願いいたします。
【板倉教育課程企画室長】 御出席いただきましてありがとうございます。本日は対面会議とWebexを使用したウェブ会議を組み合わせた方式にて開催させていただきます。ウェブ会議と組み合わせた方式で行うことから,御発言に当たっては,インターネットでも聞き取りやすいようはっきり御発言いただく,御発言の都度,名前をおっしゃっていただく,御発言時以外はマイクをミュートにしていただく,御発言に当たっては「手を挙げる」ボタンを押していただき,発言が終わりましたら「手を挙げる」ボタンを再度押していただき,手を下げていただくよう御配慮いただけるとありがたく存じます。御協力のほどよろしくお願い申し上げます。
 それでは,資料の確認をさせていただきます。本日の資料は,議事次第にございますとおり資料1から4まで,及び参考資料1から3までがございます。御不明な点等ございましたら事務局までお申しつけください。
【天笠部会長】 それでは,議題(1)「個別最適な学びと協働的な学びについて」,及び議題(2)「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ(素案)について」でございますが,相互に関連しておりますので,2つの議題を一括して審議いたしたいと存じます。
 議題(1)では2名の方に発表をいただき,議題(2)については事務局から説明をさせていただいた後,これはまとめて質疑や意見の交換の時間を設けさせていただきたいと思います。
 それでは,議題(1)に入りたいと思います。本議題につきましては,初めに学校法人桐蔭学園理事長,桐蔭横浜大学学長・教授の溝上慎一先生に,個別最適な学びと協働的な学びについて御発表いただきます。
 続きまして,國學院大学人間開発学部初等教育学科教授,文部科学省初等中等教育局視学委員の田村学先生に,探究的な学習の質を高める協働的な学びについて御発表いただきます。
 それでは,まずは溝上先生から,御発表をよろしくお願いいたします。
【溝上先生】 皆様,こんにちは。桐蔭学園の溝上でございます。今日は,この前出されました令和の日本型学校教育についての中間まとめで大きなキーワードになっております個別最適な学び・協働的な学びについて,やや学術寄りに考察したものを報告させていただきます。
 私は現在,教育再生実行会議の初等中等教育ワーキンググループで委員を務めておりますが,そこでも,この令和の日本型学校教育について密接に連動して議論がなされております。2日前にも,天笠部会長にお越しいただきまして,中間まとめの概要を御報告いただきまして,委員でシェアをしたところでございます。
 スライドの2枚目をお願いいたします。
 まず,令和の日本型学校教育における学びを,「個別最適な学び」と「協働的な学び」の両輪と置いて,学習形態においては対面学習とICT利用を組み合わせたハイブリッドな学びとして推進していくと簡単にまとめます。
 その上で,本日の報告内容ですが,1つ目に,「個別最適な学び」の用語は本当に必要かという問いを立てて考えてみたいと思います。御承知のとおり,今年に入って新学習指導要領が小学校から実施されておりまして,特に学びに関しては,「主体的・対話的で深い学び」,アクティブ・ラーニングが大きく打ち出されたところでございます。
 それを現場でしっかり取り組んでいこうとするところで,この度重ねて「個別最適な学び」と出てきているわけですから,重複する印象,重ねて言葉が出てくる印象というのは正直あります。
 他方で,新学習指導要領を実施するとなったところでこのコロナ禍に見舞われておりますので,新学習指導要領を踏まえながらも,特にICT利用をハード面・ソフト面ともにもっと前面に出して,「個別最適な学び」なるものを推進しなければならないと。そうでないと,いろいろな意味で子供たちの学びは危うい,学びを保障できないと考えられてのことではないかとも拝察しております。
 2つ目の報告ですが,「協働的な学び」についてです。「個別最適な学び」だけでは個に特化した学びになり過ぎますので,両輪の1つに加えられたのだと理解しておりますが,これも既に新学習指導要領で「主体的・対話的で深い学び」における「対話的な学び」と打ち出されておりますので,その上で言葉を重ねていく,そう思うのもこれまた正直なところでございます。現場に下ろしていくと必ず出てくる問題だと思いますので,この機会にしっかり関連づける作業をしたいと思います。
 3つ目でございますが,AIの分野で「個別最適化」という言葉がありまして,英語ではadaptive learningと言われます。アダプティブとかアダプテーションは,どちらかといえば基準値に自動的に合わせていく,順応みたいな言葉です。例えば心理学では,暗闇に突然入って慣れない目が次第に慣れていくというのが一番分かりやすい例としてよく挙げられますが,そういう自動的な調節機能,あるいはAIのように確率計算を用いて統計的に最適化(オプティマイゼーション)を行うときに用いられる,これがアダプティブ・ラーニングの特徴ですが,それも子供が自律的に調整していくという意味での「個別最適」を表しているわけではありませんので,このようなことから,英語で何と表現していくのかを考えてみることで,私たちの個別最適な学びの指すものを特定してまいりたいと思います。
 スライドの4枚目をお願いします。
 新学習指導要領を踏まえながらも,ICT利用を前面に出して個別最適な学びが打ち出されている構図を確認いたします。
 しかしながら,個別最適な学びは,指導の個別化,学習の個性化として,昭和の時代,特に1980年代から,「個に応じた指導」として学習指導要領等で推進してきた流れを持ちますので,ICT利用を大きく前面に出して,「個に応じた指導」の令和版を示していくにしても,この「個に応じた指導」の言葉それ自体は,考え方を含めて決して新しいものではないことを,まず確認したいと思います。
 スライドの5枚目をお願いします。
 ここでは学術的な考察を2点加えたいと思います。1つは教授学習パラダイムの転換から見るものです。右の,教授パラダイムの枠から,枠を超えて学習成果に飛び出ている,これは教授学習パラダイムの図として私がよく示すものですが,これを御覧になりながらお聞きください。
 1つは,教授学習パラダイムの「教授パラダイム」の意味ですが,端的に言うと,教師が児童生徒に何を教えるかということを強調するものでございます。他方で「学習パラダイム」は,教師が何を教えたかではなくて,児童生徒が何を学んだか,何が育ったかを強調するものであります。これまで学習パラダイムは構成主義的パラダイムとも呼ばれてきたもので,そういう形で理解していただいてもいいかと思います。
 高等教育で学習パラダイムの転換を主張したアメリカのジョン・タグ先生という有名な方がいらっしゃいますが,ジョン・タグ先生は,両パラダイムは決して二律背反的なものではなくて,学習パラダイムは教授パラダイムを踏まえて,それを越えたところに児童生徒を移動させるものなのだと説かれます。
 学校教育は学習指導要領も含めて,何を教えるかということを基礎基本として設定しますので,教授パラダイムは非常に大事なもので,絶対なくなることはないわけです。
 その意味では,今日,学習パラダイムの転換を説くということは,教授パラダイムを踏まえて,その枠を越えること,こういうふうに意味していると考えられます。習得・活用・探究の学びの過程という言葉がございますが,これは教授パラダイムから学習パラダイムへ,この2つのパラダイムを踏まえたものをうまく言い表していると,私は考えております。習得・活用・探究へと移行することによって,教授パラダイムから学習パラダイムへと徐々にウエイトを上げていく流れがうまく示されていると考えております。
 探究的な学習においてさえ,教授パラダイムはゼロではありません。課題の設定の仕方,情報の集め方など,やはり探究の授業においても教えないといけないことはあるわけです。こうした観点から見ますと,「指導の個別化」「学習の個性化」と2つ挙げられるときの「指導の個別化」というのは,教授パラダイムに重点を置いて,ややその枠を越える形で学習パラダイムへの意向という特徴を理解できます。
 他方で「学習の個性化」というのも,教授パラダイムの枠を踏まえることは当然ありますが,その枠を越えて,どれだけ個人の自由領域へ飛び出していくか,そこを強く説くものと理解されます。
 先ほど申し上げましたように,指導の個別化も学習の個性化も,特に昭和の時代から,1980年代は特に提起されてきたものでありますので,考え方自体は,あるいは言葉自体は,長い年月の中,ずっと学習指導要領の中で出されてきたものだと思いますが,今,令和版としてまとめていく意義があるかと思います。それは,私の考えでは特に2000年代以降にコンピテンシーベースの流れ,あるいは社会の変化に対応して探究的な学習の重要性を加えて説き直しておりますので,そこに令和版の意義があるのではないかと考えられます。
 スライドの6枚目をお願いいたします。
 もう1つ加えたい学術的な観点は,人の社会性を発達的に見ていくことです。社会性というのは,発達心理学では,他者と共存して社会に適応していく「社会化」,太い幹で示しておりますが,それと,個人の独自性が形成される「個性化」の合計で定義されます。難しい時代になったと思うのですが,私たちが教育の世界で説いている「個性化」というのは,この発達心理学で言うところの「個性化」とは異なります。
 例えば,対話やコミュニケーションとしての表現力ということを子供たちに求めていきます。発達心理学の個性化であれば,パーソナリティとしての個性化と理解しますので,例えば,おとなしくて話が苦手だと。それはその子供のキャラクターとして理解して,あるいは受容していくべきものです。これは,それぞれ個性があるというときの話です。
 他方で,学校教育で今求めている個性化というのは,社会化という形で皆共通のところにある程度基礎基本として持っていくものとは異なる,個人固有の考え方であったり力であったりしますが,それは,発達心理学の説くような個性,独自でそれぞれあっていいというものとは必ずしも限らなくて,やはり社会的に,「一定程度」という言い方がいいと思いますが,ある程度期待される姿があるかと思います。例えば,おとなしい子で十分では,やはりありません。おとなしくても社会の中で考えを述べていく,あるいは,不十分なりにも対人関係を取りながら自分の考えを発表していく,こういうことは,やはり育てていかないといけないと思います。
 そういうことを考えていくと,私たちが説く「個性化」というのは,ある程度社会化に近い個性化だとも言えます。
 そう考えれば,さきのスライドの,教授パラダイムを踏まえて学習パラダイムの領域に導き出すという考え方と似ているかと思います。本当に,難しい時代になったのだと思います。
 スライドの7枚目をお願いいたします。
 これは冒頭で述べましたとおり,個別最適な学びだけでは個に特化した学びになり過ぎますので,両輪の1つに協働的な学びを加えたのだと,まずは理解して確認したいと思います。
 次のスライドをお願いします。
 問題は,先ほど述べましたように,主体的・対話的で深い学びの「対話的」というのがありますので,その上で協働的な学びを重ねていく理由を考えないといけません。
 率直に申し上げますと,なくても論は展開できると個人的には思っています。しかしいろいろ事情があって両輪となっているわけですから,それだったらその前提で積極的に関連づけてみたいと考えます。
 私の考えは,2014年の高大接続答申のアクティブ・ラーニングの定義にありました「主体的・協働的な学び」,ここでの協働的な学びというのを復活させるというのはどうかというものです。つまり,高校・大学の教育,あるいは仕事社会のトランジション(移行)というものを見ていくとき,あるいはSociety5.0を考えていくときには,最後どうしても協働,ここでは「コラボレーション」という言葉を当てて「協働」の意味を理解していますが,というものがとても大事になってきます。探究的な学習で,グループで1つの課題を仕上げていくような作業も,このコラボレーションを意味すると考えられます。
 だからといって,今回の指導要領で,「主体的・対話的で深い学び」を「主体的・協働的で深い学び」という表現で小学校・中学校へと下ろしていくのは無理があるかと考えられますので,新指導要領では「対話的な学び」が,そういう意味で最後選ばれたのではないかなと,個人的には理解しています。
 その対話的な学びを,collaborationに対してcooperationと呼んでいく。もちろん,対話イコール,cooperationではありませんが,collaborationの対義として,cooperation,cooperativeというのがありますから,そういう意味は非常に義務教育には合ったものかなと思います。教え合いとか話し合いといったものを通して,習得的な基礎・基本の知識・技能を,このcooperationとしての協同も加えて,みんなで対話して到達していこうと。そういうイメージでございます。
 答申の中では,「対話的な学び」の中の説明にも「協働」という言葉はございましたが,今回,社会変化,あるいはSociety5.0を強く意識して外に取り出す,こういう作業はありではないかなと考えております。
 スライドの11枚目をお願いいたします。
 最後に,「個別最適な学び」の英訳について考えます。先ほど申し上げましたように,アダプティブ・ラーニング,adaptationというのは,生理的な順応,あるいは最適解のイメージを抱かせる言葉で,適切ではないかもしれません。異なる言葉を探したい。
 伝統的に心理学では「適応」という言葉には「adjustment」というのを当ててきましたが,サビカスの例を挙げていますが,なかなか言葉1つで全ての語の基調というか,調子を合わせるということはございません。ちょっと違う例もありますが,ただ,一般的にはadjustmentというのを使ってきたと考えられます。
 adaptationに対してのadjustmentというのは,外部から与えられる環境,所与の環境,given environmentと英語で言われますが,そういうものにはまっていくプロセスにおける自律的な調整。だから,何でもかんでもはまって適応すればいいというのではなくて,順応とかアダプティブ・ラーニングはどちらかというとそういうイメージですが,そうではなくて,主体の環境に関わる自律的な,あるいは主体的な調整というのが入る。ここにadjustmentという言葉を当ててきた歴史があるわけです。
 「内的適応」という,あえて外的・内的を強調した言葉もありますが,この「内的」というのも,ただ環境にはまればいいのではなくて,内なる実感とか好奇心というものを持ってはまっていくこと。適応というのははまっていくことなのですが,そういうものを強調した言葉であろうかと思います。
 次のスライドをお願いいたします。「個別最適な学び」を英訳するときに,「個別的な学び」と「最適な学び」,これは分けて考えていく必要があろうかと思います。
 「個別的な学び」は,私の考えでは「personalized learning」でいいのではないかと考えます。このpersonalized learningというのは,2000年代のeラーニングの隆盛のときに非常によく用いられた言葉ですが,もちろんpersonalized learningという言葉自体は古くからありますので,ある時期のある取組に合わせてよく使われている,そういう話をしているわけでありますが,今回も,教室での対面学習から,ICTを様々な形で利用することで個別の学習へのバラエティが生まれてくると理解できます。
 次のスライドをお願いします。
 最後ですが,もう1つの「最適な学び」のほう,これは正直言いまして難題です。ただ,最適の「適」は適応の「適」でもありますので,先ほど申し上げました所与の環境にはまっていくということを考えて,そして,先ほどこれも言いましたように,ただはまっていくだけではなくて,そのプロセスにおいて自律的・主体的な調整ということを含み込んでいく。そこでadjustmentということを援用できるなら,「最適な学び」というのは「self-adjusted learning」と言ってもいいわけですが,こんな言葉はあまり聞いたことがありませんので,できるだけ使われている言葉で表現したほうがいいと考えられます。
 そうなると候補になるのは,皆さんよく御存じの「自己調整学習」,「self-regulated learning」となるのかもしれません。ちょうどいい具合に,この中間まとめの中にも赤字で示しておりますが,「自らの学習を調整しながら」というふうに強調されておりますので,この理解で問題ないのではないかと思います。
 次のスライドで最後です。御清聴どうもありがとうございます。
 報告は以上ですが,個人的に考察したものでありますので,中間まとめの理解が不十分であるところや,勘違いもあるかもしれません。忌憚なくコメントをいただいて議論できればと思います。ありがとうございます。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 それでは続きまして,田村先生から御発表をお願いしたいと思います。田村先生,どうぞよろしくお願いいたします。
【田村先生】 それでは発表させていただきたいと思います。國學院大学の田村です。今日はよろしくお願いいたします。
 なお,文部科学省初等中等教育局の視学委員も務めさせていただいておりますが,今日はそういった立場も兼ねながらお話をさせていただきたいと思います。
 タイトルに書いてあるとおり,今日は「探究」ということと「協働」の関係を,これまで自分が多くの現場などで学んできたことを踏まえながらお話しさせていただきたいと思いますので,少し子供たちの姿などを出しながら御紹介したいと思います。
 まずは,子供たちは,年齢や発達を超えてまさに協働的に学んでいるということになるかと思います。幼児期の子供たちは,恐らく,当初は一人遊びをしていきます。その頃は主に並行的に遊んでいますが,年長さんぐらいになると徐々に協働的な形で遊びが展開されるようになってくるわけです。そんな子供たちは,小学校に入ると,徐々に徐々に力を合わせて問題を解決する,こんな姿が出てくるわけです。
 それが中学生ぐらいになってくれば,より込み入った問題を,より大勢の人数で,さらにみんなの力を合わせながら問題解決していく,こんな姿が出てきています。日本全国の学校では,そんな授業が各地で展開され,意見交換,ディスカッション,学び合い,そんな中で自分の考えを確かに主張する,そんな姿が確実に広がってきているということだと思います。
 これは,先ほどの溝上先生の御発表のように,まさに主体的・対話的で深い学びといったことの大きな成果でもあるかもしれません。これが,高等学校においても実現され始めてきていて,かつての高等学校の,ややもするとチョーク・アンド・トークと揶揄されたような授業も,大きく変わり始めてきているということではないかと思います。こういった学びの場においては,一人一人の生徒の豊かな表情があり,しかもそれは,さらには学校を超えて地域に広がり,地域の活性化といったことに結びつく,そんな姿も広がり始めているというのが現在の状況ではないかと思います。
 一方で,このような協働的な学びというのは,各教科を超える中で,展開されているということになるかと思います。
 例えば低学年の生活科といった授業の中では,活動や体験をするのみではなくて,子供同士の話し合いがあります。もちろん社会科でもそうです。あるいは算数の授業でも,お互いに話し合いながら問題を解決していく。理科でもそうです。実験の結果を共有しながら,そのことについて議論していく。音楽もそうです。みんなでイメージを持ち,そして共に演奏に向かう。あるいは図画工作でももちろんそうです。互いの作品を鑑賞したり,協力して作り上げたり。体育の授業でもそうだと思います。お互いに教えたり教えてもらったり,あるいはチームの戦術を高めたり。中学校の授業でも各教科の中でそういった学習が確実に広がり,高等学校においてもということだと思います。
 その意味では,発達や年齢を超えて,あるいは各教科において,子供たちは多くの情報を内化しインプットし,そして外化しアウトプットするということを頻繁に行い,学びを確かにしているということは,これまでも十分行われていたとともに,まさに今回の学習指導要領改訂の中でもそれが大きく促進されてきたということだと思います。
 このことは,今回の平成29年の学習指導要領での,対話ということだけではなくて,平成20年の学習指導要領改訂のときの「言語活動の充実」の中に,既にその芽出しは十分されていて,この時の「言語活動の充実」の中には,多くの情報をインプットすること,そしてアウトプットしていくというインタラクションが潤沢に示されていたということだと思います。言ってみれば学習指導要領改訂の中に脈々と位置づいているものと捉えていいかと思います。
 しかも,その頃は,これまでの授業を,例えば一斉授業だけではなくて,あるいは先生が説明するだけではなくて,もちろん一斉授業が必要なこともありますし,教師の丁寧な説明は必要なことではありますが,むしろ,もう少し子供たち,あるいは生徒・児童を中心にした授業を考えていこうということで進められてきた。その中に,今回の「主体的・対話的で深い学び」が位置づくのではないかと思います。
 実際に中学生に聞いてみました。北海道の中学校の生徒さんの様子ですが,授業が終わった後,ちょっと感想を聞くと,やっぱり話し合いは大好きだということを言っていました。
 あるいは,福井県の中学生に話を聞きました。やっぱり話合いは楽しいんです,みんなで学び合うほうが楽しいとにこにこしながら,答えてくれました。受け身の授業だけではただの作業だというふうに言っているわけです。その意味では,実際の学び手の子供たちは,まさにこのように,共に語り合ったり話し合ったり,あるいは学び合ったり,協働的に学ぶことの意味や価値を実感しているということではないかと思います。
 それが今回の学習指導要領に示された「主体的・対話的で深い学び」。当初,アクティブ・ラーニングは「主体的・協働的」という言われ方で示された大臣諮問ではありましたが,そのような活動性重視というイメージよりも,むしろ言葉を使う対話ということを明示しながら,学校の授業が改善されてきたということではないかと思います。
 そういった授業が確実に展開されていく中で,今日は「探究」ということと結びつけて,皆さんと考えてみたいと思います。
 最初に整理をしてありますが,異なる多様な他者と協働して主体的に課題を解決することで,探究的な学習は質が上がり,実際の社会で活用できるような資質・能力が確実に育成されていくのではないか。つまり,探究をより確かにするために,より質を上げていくには,やはりここに協働が要るのではないかということを,皆さんと少し考えていきたいと思います。
 これまで,総合的な学習の時間における,この探究といったものが示され,探究のプロセス,「課題設定,情報収集,整理・分析,まとめ・表現」が全国の多くの学校で実現され,総合的な学習の時間の質も上がってきた,確かなものになってきたということが言えるかと思います。
 ここに,ただ1人だけで学び続けるのではなくて,そこに協働的が位置づくことによって,恐らくこの探究の質は上がっていくということになるかと思います。
 実際に,この総合的な学習の時間を学んできた生徒の様子をちょっと見てみますと,お互いに意見を出し合うから,みんなの良さが分かるんだということを言っています。
 探究を学んでいくときには,自分一人ではなくて,そこに仲間がいたり,友達がいたり,場合によっては地域の皆さんがいたりすることによって,自分の学びはより確かになっていくし,そのことこそが,実は非常に楽しく充実したものになるということを,学び手の子供たちは語っているということではないかと思います。
 これは高等学校の生徒の様子です。
 一人一人の子供たちは,学び合いは楽しいと言うとともに,自分が語ることの意味や価値も有し,あるいは友達から情報を得ることの意味や価値もだんだん理解をしてくるし,あるいはそのことによってそこに新たなものがクリエートされてくる,あるいは新しい発想が生まれてくるといったことを着実に実感している。だからこそ学びが充実するのだということを,小学校も中学校も高等学校も,この「探究」と言われる総合的な学習の時間や,総合的な探究の時間の中で,まさに証明するような形で語ってくれているということになるかと思います。
 この総合的な学習の時間における協働については,学習指導要領解説の第7章第3節の2のところに,探究をただ探究だけで終わらせるのではなくて,他者と協働し主体的に取り組むことを行うことが重要であるということが明確に示されています。
 したがって,学習指導要領解説の中では,この「協働」の意味を大きく4つぐらいで整理しています。1つは,多様な情報を活用して協働的に学ぶ。多くの情報を手に入れることによって学びは豊かになるだろう。2つ目は,そこで物事を分析するときには,異なる視点や多様な分析する視点があるがゆえに,自分たちの認識はより確かになっていくだろうということ。そして3つ目は,それを何らかの行動に結びつけたり行為するときには,自分一人ではなくて多くの仲間や友達とやることによって,あるいは地域の人たちとも協力したり協働することによって,自分たちの行為はより確かになっていく。そして,さらには社会参画といったことにもつながっていく。こんな価値が示されているとともに,この協働的に学ぶということは,主体ということとバランスを保ちながらやることによって,まさに一人一人の子供たちは自分の学びについて自信を持っていくのではないかと整理がされています。
 実は,この学習指導要領解説の作成に当たっては,まさにその当事者として整理をしてきたわけですが,その中で,こういった大きな4つの整理をするプロセスの中で,およそ次のような分析を意識しながら行ってまいりました。
 3の側面を考えながらやってきました。1つは認知的な側面です。子供たちが物事を認識するに当たっては,やはり多くの情報が手に入ること,そしてそれを自分がアウトプットすることによって,自らの頭の中にある知識を関係づけたり再構成して構造化するということ。あるいは他者との間に新たな知が生まれてくるということ。こういうことが重要ではないかと考えてきました。
 もう一方では,実際の態度的な側面です。どのような態度が育成されることが望ましいか。この探究においてという意味では,異なること,あるいは多様であることが重要だということを,子供たちが実感するような学びである必要があるのではないか。
 どうしても同調圧力と言われるようなことがありますが,何か日本の子供たちは同じでいなければいけないようなことがあるかもしれませんが,新たなものを生むときには違うほうがいい,多様性があることが重要だと。
 2つ目は,関わり合ったり力を合わせることによって,物事は成果が出る。それを子供たちがまさに感じ取るということ。
 そして3つ目が,開かれていること。たくさんの違いをオープンマインドで受け止めること。それを共有する中で新たなものが生まれてくるということ。このような価値を子供たちが実感することが,結果的にはそういった行動に向かうのではないかということも考えながら,先ほどの整理に向かってまいりました。
 あるいはもう1つ,活動の側面です。実際に活動していくことが,この探究の中では重要になってくると思いますので,まさに協働するということは,交流し頻繁にコミュニケーションが立ち表れる,あるいは協力しながらゴールに向かっていく。あるいは様々な人と関わり,力を合わせる。あるいは地域社会と関わり,参画するといったこと,こういう具体の活動をすること自体も非常に価値があるということを意識しながら,先ほどのような整備に至ってきたということになるかと思います。その意味においても,探究において,こういった協働に価値があると考えてきたということになります。
 では,どういった生徒の学びがあるかということを少し見ていきましょう。これは広島の子供たちが,まさに平和学習ということで探究的に学んでいきます。子供たちがいろいろなことを知り,いろいろな人に出会い,被爆体験を聞いたり調査をしたりしていく中で,平和劇を創って伝えなければいけないと語り始めました。平和劇を創ったところ,この右上のセリフが一番大事だと子供が語りましたので,先生がそれを問い返したわけです。言ってみれば,主体的な学びに対話が入ってきたということで,その場面で,子供たちはこんなふうに語りました。まず手前の子がこう言いました。残りの3人はこう語りました。すると手前の子がこう語り始めます。
 御覧いただいて分かるとおり,手前の子の発話の質が明らかに上がっている。しかもそれは2人目3人目4人目の発話情報がつながり,ネットワーク化し,このようにお互いに情報をインプットしアウトプットする中で,確かな自分の認識を得ている。言ってみれば,徐々に徐々に深い学びに向かっているという様子かと思います。
 これは,言ってみればこの黄色の一個一個の知識がつながりネットワーク化するということ。こんな形で精緻化し,エラボレーション,こんなふうに固まりがつくられていくことによって,恐らくその知識はより活用できるものになるし,より安定的なもの,はがれにくいものになっていくというような良さもあるのではないかということかと思います。
 こちらの生徒は,岡山県の高校生です。総合的な学習の時間の学びについてインタビューしたとき,こんなふうに語っていました。
 ここに語っているとおり,まさにただ暗記するだけではなくて,自分でつくり上げていくような,どうも違う知識を構造化しながらつくっているということも出てくるわけです。そう考えますと,まさにこの探究の中で,協働的に学ぶことの良さや価値も見えてくるかと思います。と同時に,実はこのような授業をしている子供たちの学力・学習状況調査のスコアとの相関も見えてきているということです。話合いや,こういった表現活動,まさに協働的に学ぶことをやっている子供たちは,学力・学習状況調査の正答率が高いといったデータが出ています。
 あるいは,話し合いなどを行って自分の考えを深めたり広げたりするという学びをしている子供たちは,まさに,学力・学習状況調査の平均正答率は,相関関係ではありますが出ているということですので,期待する学力の数値にも表れているということが言えます。
 今まで御紹介してきたことを,少し主体的・対話的で深い学びということと関連づけて1枚で整理するならば,まさにこのような内化し外化するというプロセスを,自分の意志で自分の自覚の下,まさに目的的に行うことが主体的であり,多様な他者からの情報を入力し,他者に伝えるような場面,ここでまさに頭の中がアクティブになるわけですが,これが対話といったものであり,その瞬間,恐らくばらばらな知識がつながり,ネットワーク化して,粒が組み立てられて固まりになる,こんなイメージを持つと,いろいろな意味でこの協働の意味や価値といったものも同時に考えられるのではないかと思います。
 それでは最後に,今回出てきた個別最適な学びといったことと少し関係づけながら,自分の考えていることをまとめてお話をさせていただきたいと思います。
 まさに探究においては,どうもこの協働が不可欠であるということをここまで御紹介してきましたが,まさにこの学校を中核というのは,ある意味学校だけではなくて,学校を超えた幅広い子供の学びの中で,まさに子供たちは時間と空間を超えて学びを広げ,個の学びと集団の学びは往還しながら,一人一人にとって最適な,自分にとって最も適切な学びを実現していくということなのだと思います。
 それは,これまでの中間まとめで言いますと,3ポツの(1),ページで言うと14ページぐらいになるのでしょうか,そこに子供の学びといったことで示されている,今回の議論の中心に当たるところだと思いますが,言ってみればそこを少し私なりに整理をしてみますと,まさに資質・能力を育成するために期待する学びといったものがあって,それをかなり能動的な学習といった文脈で考えたときには,主体的・対話的で深い学びといったものがクローズアップされてきて,それを実現するための授業改善やカリキュラム・マネジメントがあった。これは,これまでのどちらかというと学校や学校の授業といったものをベースとして考えていく考え方。
 一方,今回,もう少し一人一人の子供の学び,一人一人に応じたといったことに光をぐっと当てて,その文脈で考えるならば,個別最適な学びと協働的な学びという言葉が出てきて,個別最適な学びといった子供の学び,教師側からすると個に応じた指導といったことになりますが,それを指導の個別化と学習の個性化といった形で整理をしていく。ここと協働的な学びが相まっていくことによって,子供たちの学びが豊かになるということだと思うのですが,指導の個別化と学習の個性化について,現在記述されているところで十分要素が入っているとは思うのですが,もう少し再構成,整理をしてみる手もあるのではないかと思いました。
 どのように考えるかというと,指導の個別化・学習の個性化,どちらかというと指導の個別化は,やや子供たちの習得的な学びの局面が若干強調される傾向があってもいいのではないか。とすれば,そこでは教師の効果的な指導や柔軟な設定を行うということを,もう少し見える化する形の文章の整理をすることが考えられるのではないか。あるいは,学習の個性化においては,もう少し子供たちが探究的に学ぶという側面が強調され,そこでは,子供一人一人が主体的に学習を最適化するのだといったことが,少し全体の文章の構成の中で見える化してもよいのではないかと考えました。
 この右側の文脈においては,ある意味,学校をセンターとし,学校をコアとした形,つまり学校だけではない,教室を超えたような学びの世界まで考えていかなければいけない。言ってみれば,今回の,まさにコロナ禍における,オンラインやICTを使ったGIGAスクールといった話の中で,学校がやはり中心である必要があると思います。しかしながら,学校以外の時間や空間を超えた学びをさらに広げていくということを,これからは発想し,それを令和の日本型教育の再構築といったことの中に位置づけていくということ。これは,言ってみれば,先ほど申し上げましたが,個の学びと集団の学び,それを往還させながら質を上げていくということではないかと思います。
 そう考えたときに,再度もう一度,学校という場の学びは一体どういう価値があるのか,あるいはそこにおける教師はどのような役割を担うのかといったことを自分なりに考えてみますと,学校という社会資本は,言ってみれば資質・能力の育成を当然目指すところではありますが,まさに一人一人の子供たちが,自分は未来社会を創造する主体なんだと。OECDが言うところのエージェンシーといったものと重なると思いますが,そういった自覚を促すような場である必要がある。
 だとするならば,先ほど御紹介した,学校をセンターあるいはコアと考えたときに,学校という学びの場の持つ重要性というのは,やはり教育課程が明確に編成され,その教育課程は意図的で計画的なものであり,それを中心としながら,学校をもう少し超えたような場の学びが展開される必要があるのではないか。あるいは,学校においては幅広く,しかも多様な教師の高度な指導がそこには存在するということが重要で,これがあることによって,まさに広がった学びにおいても充実していくのではないか。あるいは,学校というところは,まさに子供たちがそこに集い,力を合わせたり学び合うという仲間がいるということ。今回のコロナ禍でも,そういった学びの価値を実感した子供たちは大勢いたのではないかと思います。
 と考えますと,ここまで探究における協働の価値といったものについて考えてまいりましたが,まさにやはりこれからの学校というものの社会資本としての価値はますます重要性が増してくるし,そこにおける意味や価値といったものを今回の令和の,また教育の再構築の中で整理をしていくことが重要で,その方向にまた向かっていく必要があるのではないかと考えているところであります。
 私のほうからは以上で発表を終わらせていただきたいと思います。御清聴ありがとうございました。
【天笠部会長】 田村先生,どうもありがとうございました。
 溝上先生,田村先生,御発表ありがとうございました。この後,それぞれの委員の方から,御質問,御意見等々をお願いしておりますので,それを受けて,また後ほど御発言をいただくということで,お取りしておりますので,引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
 それでは,それに先立ちまして,もう1つの議題の2について取り上げたいと思います。新しい初等中等教育の在り方に関わる審議状況,及び資料3「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ(素案)」について,事務局より説明をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
【板倉教育課程企画室長】 ありがとうございます。まず最初に,先ほど田村先生のプレゼンテーションの資料の中に,子供たちの写真が使われていたかと思うのですが,こちらに関しては記事等には使用いただかないよう,御配慮いただければと思っております。
 それでは説明に入ります。中央教育審議会初等中等教育分科会新しい時代の初等中等教育の在り方特別部会を中心に検討が進められてきており,また教育課程部会でも検討していたわけでございますが, 10月7日に「令和の日本型学校教育の構築を目指して(中間まとめ)」として取りまとめられました。
 その概要につきましては,あるいは本文につきましては,参考資料1,2のとおりということでございます。現在,特別部会におきまして,関係団体からのヒアリングを行っているところでございまして,引き続き答申に向けて審議を進めていくというところでございます。
 教育課程部会におきましても,これまでの11回の審議,あと1回の書面審議のまとめをたたき台として示させていただいておりますが,今回素案として提示させていただきたいと思っております。
 前回の教育課程部会あるいは初中分科会特別部会における議論を反映しまして修正しておりますので,今日は資料3-2,修正履歴がついたものに従って,主な修正箇所を御説明させていただければと思います。
 まず,2ページの2(1)の部分でございますが,その2ページの3ポツ目でございますが,「個別最適な学び」を今日において取り上げる背景としまして,社会の変化が加速度を増しまして,複雑で予測困難なものとなる中,学習者の視点から学びを考える重要性が高まっている旨を記載したところでございます。
 また,続いて2ページ目の4ポツ目,5ポツ目の部分でございますが,ICTの指導の活用は指導の個別化,学習の個性化の両方の側面をはじめ,これからの学校教育の様々な場面で必要であり,教師の負担軽減を含めて,ICTを活用して進めることの重要性について,P3のほうに移しまして,段落を分けてまとめて記載させていただいております。
 また,3ページ目の1ポツ目でございますが,「個に応じた指導」を学習者視点から整理した概念が「個別最適な学び」であることを一層明確化したところでございます。
 続いて3ページ目の2ポツ目でございますが,「個別最適な学び」を進めるため,学習内容の確実な定着を図る観点や,その理解を深め広げる観点から,カリキュラム・マネジメントの充実・強化を図ることや,データの取扱いに関する専門的な検討を進めていただくことを追記しているところでございます。
 また,3ページ目の3ポツ目でございますが,国において,ICTの活用や学習者の視点を盛り込んだ「個別最適な学び」に関する指導事例を収集・周知する旨が必要ある旨を追記したところでございます。
 これに関しまして,今日は参考資料3としまして,昭和59年に当時の文部省より出されました「小学校教育課程一般指導資料3 個人差に応じる学習指導事例集」を配付させていただいているところでございます。こちらは「個別最適な学び」について検討する上でも参考になるものと考えておりまして,今回配付させていただいたところでございます。
 続きまして(2)の「協働的な学び」,4ページ目になりますが,(2)の2ポツ目でございます。今回の臨時休業からの学校再開後,感染症対策を講じながら最大限,子供たちの健やかな学びを保障できるよう,特例的な対応が取られたことを明確化させていただいております。
 続いて(4)番の履修主義と修得主義,年齢主義と課程主義のところの7ページ目の2ポツ目でございます。こちらに関しまして,「個別最適な学び」「協働的な学び」と履修主義,修得主義の関係を整理させていただいたところでございまして,指導の個別化と修得主義との関係,学習の個性化と履修主義と修得主義との関係,「協働的な学び」と履修主義との関係について記載させていただいてございます。
 次は11ページ目に移りまして,3ポツ(2)の,学びに向かう力等を育成する教育の充実のところでございます。11ページ目の2ポツ目でございますが,学習の進め方を自ら調整する力を身につけさせることを柱として,授業改善を進めることが考えられる旨を記載させていただいております。
 また,11ページの(3)番,STEAM教育等の教科等横断的な学習の推進による資質・能力の育成,11ページの最後のポツになりますが,今日におけるSTEAM教育の意義として,文系・理系といった枠にとらわれず,課題の発見・解決や社会的な活動の創造に結びつけていく資質・能力の育成が求められている旨を記載させていただいております。
 また,12ページ目の下から2ポツ目でございますが,STEAM教育はその特性上,高等学校において重点的に取り組むべきものでありますが,小学校・中学校においても,子供の状況に応じて取り組むことが考えられる旨を追記したところでございます。
 また,12ページ目の一番下のポツになりますが,総合的な探究の時間や理数探究等を中心としてSTEAM教育に取り組むことが期待されることを明確化しております。その際,これまでのスーパーサイエンスハイスクールなどでの教育実践の成果を生かしていくことが考えられることを追記してございます。
 13ページ目の1ポツでございますが,STEAM教育による創造性等の育成に関する記載を見直すとともに,文理の枠を超えて,教科等横断的な視点で資質・能力の育成を図ることを記載してございます。
 また,13ページ目の2ポツ目でございますが,STEAM教育の推進に当たって,探究学習の過程を重視することや,自己の成長の過程を認識できるようにすること。学校内外の関係者による多様な視点を生かし,生徒のよい点や進歩の状況などを積極的に評価することを追記してございます。
 また,14ページ目の1つ目のポツでございます。国において,STEAM教育に資する教育とコンテンツの整備,事例の収集・周知を進める必要がある旨を追記してございます。
 続いて14ページ目,2ポツ目,指導と評価の一体化の考え方に立った学習評価の改善についての,主体的に学習に取り組む態度の評価につきまして,自らの学習状況を把握し,学習の進め方について試行錯誤するなど,自らの学習を調整しながら学ぼうとしているかどうかについて評価することが求められていること,この観点が「個別最適な学び」の充実や,学びに向かう力,人間性等の育成に当たって重要であることを記載させていただいております。
 また,15ページ目の1ポツ目でございますが,「個別最適な学び」の充実に当たり,形成的な評価を行うことの重要性を記載させていただいてございます。
 続いて19ページ目でございます。カリキュラム・マネジメントの充実に向けた取組の推進のところの(1)の丸2になります。教科等横断的な視点からの教育課程編成・実施に向けた授業時数の在り方でございますが,教科ごとの標準授業時数の配分について一定の弾力化を可能とする制度について,目的を明確化するとともに,この制度を利用する学校は,家庭・地域に対して特別な教育課程を編成・実施していることを明確にするとともに,ほかの学校や地域のカリキュラム・マネジメントに関する取組の参考となるよう,教育課程を公表することとするべきである旨,記載しております。
 また,(3)番,人的・物的な体制の改善の丸2,21ページの1ポツ目になりますが,1人1台の端末環境を生かし,端末を日常的に活用していく必要性を追記しているところでございます。そのほか,文言を適正化したところでございます。
 以上でございます。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。それでは,溝上理事長,田村視学委員の発表及び,今,事務局からありました説明につきまして,委員の方々から御質問や御意見等をお願いしたいと思います。
 今,篠原委員から手を挙げられておりますが,ほかの委員の方,どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは篠原委員,どうぞよろしくお願いいたします。
【篠原委員】 今,板倉室長が説明していただいたところで,3ページ目の3つ目の白丸に,デジタル教科書の話がちょっと出ています。デジタル教科書を活用するということ自体は私も否定しないのですが,新しい学習指導要領には,「紙の教科書をベースとしつつ,デジタル教科書を併用して」と書き込まれていると思います。そこのところをきちんと踏まえた表現にしていただきたい。
 これだと,もう紙の教科書は要らないのではないかというような,誤解を生みかねません。私は紙の教科書は不要だと言うのなら,学習指導要領を変えなければ駄目だと思います。今の新しい学習指導要領がそうなっている以上は,それを踏まえた表現にしていただきたいと思います。その1点だけです。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。それぞれの委員の方の御意見等々をまとめて御発言をお願いするということを含めてお願いしたいということで,委員の方から御発言をお願いしたいと思いますが,今,私のところで承っているのは,戸ヶ﨑委員から御発言を求められておりますが,ほかの委員の方,いかがでありましょうか。
 それでは戸ヶ﨑委員,御発言をお願いいたします。
【戸ヶ﨑委員】 お2人の先生の発表,大変勉強になりました。ありがとうございました。私からは,大きく4点意見を申し上げます。
 1つ目は,先日の初等中等教育分科会でも申し上げましたが,個別化,個性化,個に応じた指導,個別最適な学び,そして,協働的な学び,これらの言葉が,教育委員会や学校現場で腹落ちし,日々の実践に結びつくことが何よりも大切だと思います。
 学校長などから意見を聞いてみたところ,「○○化や○○的という言葉が多く煙に巻かれている気がする」,「現在,学校現場で地道に取り組んでいる主体的・対話的で深い学びとの違いや共通部分をなかなかイメージできない」,「具体例を用いて自分の言葉で説明できない」などという意見が多くありました。
 これらの指導や学びについて,言葉の定義や内容を,難しい業界用語を避け,わかりやすい言葉で広く教育関係者や国民に向けて情報発信していく必要があると思います。
 2つ目は,「審議のまとめ」の中に,「協働的な学び」に加え,「協働的な学び合い」という用語が5か所出てきます。意図的に使い分けているのか疑問に思いました。
 3点目は,見え消し版の5ページに,「個別最適な学びと協働的な学びの往還を実現することが必要」という文言がありますが,この表現ですと「個別最適な学び」と「協働的な学び」が独立して存在すると捉えられることを危惧します。
 例えば,協働的な学びの中にも個別最適な学びもあるはずです。とにかくまじめな教師は,授業をデザインする際に,この2つを分けて型を作るイメージで考えてしまうことで,活動あって学びなしとなり,かえって学習の効率化や深い学びに逆効果になることも考えられます。
 特に,今後のICTを積極的に利活用した学びでは,これらは往還ではなく,一体的に捉えることが重要なのではないかと思います。
 4つ目は,「協働的な学び」の実践を通した課題として3点申し上げます。
 1つ目は,密にならないで協働的な学びを着実に実施する方法を共有することです。
 2点目は,多様なニーズや個に応じた指導です。学級内に特別な支援が必要な子供が少なくない場合やグループの中で能力等の差が著しい場合に,集団の中で個が埋没しないよう,授業のユニバーサルデザイン化など,協働的な学びを成立させるためのきめ細かなアプローチが課題です。
 3点目は,学級経営の充実です。20ページに「良好な学級経営等も,学びの質を高める上で効果的」とありますが,効果的どころでなくて,協働的な学びの効果を高めるためには,互いを認めて協力し合える学級の雰囲気が醸成されている必要があります。一方,この学びを通して,学級が相互啓発の場となり,人間関係が構築されていくということもあろうかと思います。現在,若手教員が増加し,学級経営の理解が不徹底で,学級担任の職務を見よう見まねや自己流で行う例も多くなっているように思います。授業における基礎的な指導も学級経営の重要な方略です。協働的な学びの充実に向けた学級づくりについては,ボトムアップで各学校で最優先に取り組むべき課題と考えています。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。また,今の戸ヶ﨑委員の御意見についても,もしほかの委員の方,御質問,御意見等々があったら,お出しいただいてもよろしいかと思います。
 続きまして,堀田委員にお願いしたいと思いますが,堀田委員の後,喜名委員が御発言を求められていて,その後,秋田委員が発言を求めておりますが,時間的にまだありますので,他の委員の方もどうぞよろしくお願いいたします。
 それでは堀田委員,お願いいたします。
【堀田委員】 東北大学の堀田でございます。私は,資料1の溝上先生の御提案について,御意見を差し上げたいと思います。
 英訳を考えることから,概念をきちんと規定していこうというやり方に,なるほどと思いました。とりわけ,この「個別最適な学び」の英訳については,私は溝上先生の御提案に賛成する立場であるということを,まず表明します。
 それはどういうことかというと,「個別最適な学び」については,これまでも次のような議論がありました。例えば,ICTとかクラウドとかAIの活用によって,児童・生徒の学習の状況を正確に捉えることができて,それぞれの習得や習熟の程度に合わせて,次なる学習内容を提示していくということができると。これによって,いわゆる学習の個別化がコンピューターによって進められると。
 この考え方は80年代から,もう随分あったわけですが,実際にコンピューターとかクラウドとかAIとかいうものが,全ての子供たちのところで利用可能な段階に及んだ今日において,ようやく現実になってきたのだと思います。
 ただし,こういうふうにICTで個別化できる内容というのは,資質・能力の3つの柱のうちで言えば,知識・技能のうちの,とりわけ習得や習熟の部分でありまして,そういう意味で,このようにAI等を期待するのはいいことだと思うけれども,これが活用できる範囲はやっぱり限定的であるということを,私たちは理解する必要があると思います。
 限定的だからといって否定しているわけではなくて,その限定的な範囲をしっかりと,子供たちが主体的に学ぶということに利用して,そうでない部分については「協働的な学び」をしっかりと学校で行っていくというふうに考えれば,この「個別最適な学び」という言い回しは,AI等で個別化されるという,そこだけに矮小化せずに,もう少し大きく捉えまして,自分の学習状況をAIなどに助けてもらいながら,学習ログ等で把握し,リフレクションして,自分の次なる学びを自分で調整していくという,「学びに向かう力」に近い考え方でいくべきだと私は思います。
 したがいまして,溝上先生の御提案される,personalizedであるということとself-regulatedであるという考え方に,私は賛成です。
 私の意見は以上です。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 それでは,続きまして喜名委員,お願いいたします。
【喜名委員】 全国連合小学校長会の喜名でございます。まず,2人の先生のお話,大変勉強になったところでございますが,私も先ほど戸ヶ﨑委員からお話があったような,「個別最適な学び」と「協働的な学び」の部分を誤解していたかなというふうにも思っているところです。
 また,来週,全連小としてもヒアリングがございますので,そこでまたお伝えをしたいと思いますが,今議論になっている,この「個別最適な学び」と「協働的な学び」,そして今,新学習指導要領で求められている「主体的・対話的で深い学び」を視点とする授業改善,この関係性について,しっかりと説明をしていかないと,また分かりやすく説明をすることが求められているのではないかなと思っています。
 次元の問題ということもありますし,授業設計のときにどんなふうに考えていったらいいのかということを,自分でもよく考えているところではありますが,まだまだ十分に理解をできていないところでございます。
 そこで御質問ということで,溝上先生の資料の9ページにございます,先ほど御説明の中であったのかもしれませんが,「対話的な学び」から「協働的な学び」へと矢印が向いているところでありますが,これは学びのステップというふうに捉えていいのかということが1点,御質問であります。
 また,意見としましては,今回,コロナ禍で特別活動,特に学校行事等がなかなか思うようにいかないわけでありますが,その中でも学級活動の中で行われている,いわゆる合意形成,話し合いの基本である合意形成の部分が,実はほかの教科での話し合いにも大変有効だというふうにも思いますので,そんな書き込みもまとめの中に必要なのではないかなと思っているところでございます。
 私からは以上です。よろしくお願いいたします。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 続きまして秋田委員,お願いいたします。
【秋田委員】 ありがとうございます。東京大学の秋田です。お2人のプレゼンテーション,並びに見え消し版の御説明ありがとうございました。
 まず1点目につきましては,堀田委員からもありました,溝上委員の御提案の「個別最適化」ということについて英訳をすると,personalized self-regulated learningではないかという,この発想がとても大事であると考えた次第です。
 ただしその中で,adaptiveというのが自動的な調節的なイメージがあるのではないかというようなことについて,コンピューター科学の観点からお話をくださいました。参考までに,認知科学や教授学習分野では,生涯学んでいくときに,adaptive expertとか,adaptive expertiseという語と,それからroutine expertというような語を対比し,「定型的な熟達」という,あることが早くできるようになるということと,それから「適応的熟達」ということで,文脈に応じた形で,その状況の判断をしながら,そのあることについて適切に行えるように,文脈に応じてできることをadaptiveというふうにも呼んだりしております。そういう意味でのadaptiveということはあり得るのではないかとも,お話を伺いながら感じた次第です。
 先ほど溝上先生が出してくださったスライドの中の9ページ目のところで,cooperativeとcollaborativeというところについての図の確認なのですが,cooperative・learningからcollaborative・learningになっていくということの御説明の中で,小学校でcooperativeで,高校になっていくとcollaborativeというようなお話もございましたが,これはそういう学年や発達だけではなく,学びの深まりにおいて,もしかすると導入のところには教師が設定したcooperativeもあるかもしれないけれど,小学校でも,プロセスを協働するcollaborativeもあり得るし,高校でもcooperativeもあるけれどcollaborativeもあるというような,そういう理解でよろしいのか。この辺は確認として,溝上先生が大変刺激的にお話しくださったので,教えていただきたいと思ったのが1点目です。
 それから2点目として,田村先生が協働的と探究というお話をしてくださいました。今日は時間の関係で19ページ目のところはスキップをされたのですが,異なる視点から学んでいくというときに,私は,電子書籍や電子図書館というものが極めて重要ではないかと考えております。
 実は今回の資料3-2を見ますと,デジタルと言うときにそこに上がってくるのは,ICTの活用でもデジタル教科書とか,動画とかドリルとか,あと情報というような言葉になっております。しかしながら,昭和28年に学校図書館を学校に設置という法律ができて以来,教科書だけでは1つの思想になるかもしれないが,民主的な社会をつくるためには多様な考え方,いろいろな異なる質の考え方を知るために,学校図書館の設置が重要であるということで学校図書館がつくられました。またその中で,多様な書籍や資料を使って探究を学ぶということが,私はICTの活用としても今後重要なのではないかと考えています。
 実際に,中学や高校ではかなり電子書籍や電子図書館も,先進的には使われ始めていますので,資料3-2のほうに,今日の田村先生のお話なども踏まえながら,ICTのところにそうした文言も入れていただけるとよろしいのではないかと考えます。多様な視点や多様な場から知恵を得ていくということで,電子書籍等も入れていただくといいのではないかというのが2点目です。
 そして3点目は,戸ヶ﨑先生も言われました,個別最適化という問題と,それから探究や協働という問題の中で,一体化ではないかというお話がございました。私も,ステップとして分節化されたイメージで授業をデザインするというよりは,一体化するとか,往還とは書かれているのですが,単に行きつ戻りつするだけではなく,螺旋的に発展していくようなイメージが表現の中に入っていくと,より分かりやすくなるのではないかと思います。分節化して考えていくだけではないイメージを,カリキュラム・マネジメントや授業のデザインの中で考えていくことが,これからの質の高い教育を行っていく上で重要ではないかと考えました。
 以上3点です。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 それでは,続きまして市川裕二委員,お願いいたします。
【市川(裕)委員】 全国特別支援学校長会の市川でございます。本日はどうもありがとうございました。今日お二方の先生のお話を聞きまして,溝上先生のお話の中にもありましたが,「個別最適な学び」という用語についての理解,この言葉が重なるのではないかという観点なのですが,これを特別支援教育の立場でも整理をしないとならないと改めて思いました。
 特別支援教育においては,特に特別支援学校や特別支援学級はそうなのですが,これまでも,障害のある児童生徒一人一人の障害の状況とか障害特性等を考えて,一人一人の教育的ニーズに応じた指導の目標や内容,配慮事項を示した,個別の指導計画を作成して指導に当たっていることや,今後のインクルーシブ教育システムの構築に向けては,一人一人の教育的ニーズや,本人及び保護者の思いや願いに応じた,必要とされるような合理的配慮を提供していくといった,個に応じた指導は極めて重要な観点として捉えられて,既に各学校で具現化され,ある意味,教育全体の取組として進められている状況であると思います。
 こうした,特別支援教育において今まで培われてきて大切にしてきた,個に応じた指導の考え方は,今回の令和の日本型学校教育における指導の個別化とか学習の個性化,及び「個別最適な学び」の考え方とどのような関係になるのか,どのように整理,説明すればよいのかを,特別支援教育の立場でも検討しないといけないと思っています。
 田村先生の話を聞いていて,特別支援教育の個に応じた指導は,指導の個別化という領域が非常に多いと。そこが重要なのかと私は理解をいたしましたが,特別支援学校の現場感覚でいうと,何か新しい考え方が導入されたという誤解を生んでしまう心配があります。また,特別支援教育では,合理的配慮がそうなのですが,本人・保護者の願いや希望を聞き取り,学校と保護者が共通理解を図り,個に応じた指導を進めるという過程を大切としています。
 こうした,本人・保護者の希望や願いが,今回の「個別最適な学び」という考え方の中でどのように整理されるのかというのは,特別支援教育の立場から考えると,一回しっかり整理をしてほしいと思っています。
 以上です。本日はありがとうございました。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 それでは,続きまして奈須委員,お願いいたします。
【奈須委員】 奈須でございます。今回,「個別最適な学び」ということが新しいものではないと,先ほど板倉さんからもお話がありましたが,ただ,今回それを取り上げる理由は幾つかありますが,ICTやAIの進歩ということが大きいと。これまでやってきたことに加えて,新たに位置づけ直さなければいけないということで,今回,このことをしっかり扱っていこうということだというお話がありました。
 昭和59年の,懐かしい,私たちが学生時代に学んだ指導資料を出していただいたのは非常にありがたいことだと思います。この要求を推進してきた,当時国研の加藤幸次先生,それから大阪教育大の北尾倫彦先生,それから今日おられる天笠先生がこれに関わっておられるということですが,この当時から精力的に進められたと。
 面白いのは,この中に,既に教育機器の活用という章すらあって,当時の教育の中でも,当時は「個に応じた指導」ですが,個に応じた指導ということが,当時の教育の中でも一番最先端のいろいろな技術とか施設・設備を活用していた。チームティーチングやオープンスペースの利用ということもこの中で出てきますが,その意味で,さらに今回,ICTというのが入ったということですが,何がどのように新しく質が変わるのか。
 先ほど堀田先生がおっしゃってくださったようなことが多分大きいのだろうと思いますし,また,その方向でICTやAIとの付合い方を考えていく必要があるということを,先ほど私も堀田先生の御指摘,あるいはその足場になったというか,溝上先生の御指摘に賛同をいたします。
 むしろ,機器が発展し,利用可能性が高まったからこそ,子供が主体として,自分の学びをより正確に,自律的に個性的に自己調整していくと。それを最適と呼ぼうと。
 また,そこでは当然,教師が専門性を発揮して支援に関わる必要があるのだということ。その重要性がますます高まってくると。機器の利用可能性や精度が高まったからこそ,より高度なことができるのであり,そこではより教師や子供の果たす役割が大きくなるということ。
 それとの関係で申し上げると,今日の資料3-2の中で幾つか気になる点がございます。
 1つは資料3-2の3ページですが,下のほうで,「個別最適な学び」を行うに当たり使用が見込まれる教材,やっぱり教材はとても大事ですが,その教材の中で「ICTを利用したものとしては」という注釈,限定があって,その後,デジタル教科書,それからドリル教材,コンテンツということが出ています。それの開発を官民問わず進めていくと,これはとても大事なことだと思いますが,同時に,昭和59年から既に個に応じた指導として,この国では膨大な蓄積がありますが,そうなったときに,いまだに供給される教材,教師が手にする教材としては,「個別最適な学び」,あるいは個に応じた指導を推進するのにまだまだ不十分な状況にあるかと思います。
 一般的な教科書は,やはり学級単位を基礎とした集団での一斉指導,あるいはせいぜい協働的な学習というところに利用することを前提につくられていて,「個別最適な学び」を想定してはあまりいないのだと思うんです。
 ICTの部分だけで教材がどんどんどんどん進んでくるということは,ある種のバランスを欠くのではないかという気もしております。ICTを利用したものだけではなく,もっと多様な教材が,この文脈の中で開発されてもいいのではないかという気もしておりまして,ちょっとこの辺の書きぶりは,また御検討いただければと思います。
 また,もう1つ,ICT利用が高まる中で,教師の負担軽減ということも何か所か出ております。それは働き方改革との関係でとても大事なことです。ただ,高度な専門性という話も一方に出てきていて,負担軽減というのが,単に教師の仕事が減るというか,教師が要らなくなるという話ではなくて,むしろ高度な専門性を発揮する必要性があるということとの関係性の中であるのだということ,そういう文章になっていると思いますが,改めて確認をいただければと思います。
 それから,先ほどの秋田先生からの御指摘もあったadaptiveという言葉,これも本当にいろいろな文脈で使われていて,教育学のカリキュラムでの領域などだと,adaptiveというのはむしろ溝上先生が言われたような,一方的に従属的に順応するということで,割とネガティブなイメージで使われたりもしています。
 一方で,1970年代,個に応じた指導の影響を与えたアメリカの教育などでは,adaptiveという言葉は,むしろ,今日,溝上先生が言われた,今日で言う自己調整的な意味合いでも使われていて,例えば「adaptive・education」というグレイザーの1977年の有名な本がありますが,そこでは,いろいろな情報を基に,子供が主体となって最適な学びを実現するという話が書かれているわけですが,書名は「adaptive・education」だったと思います。
 だから,この言葉は非常に多様な意味で,多様な文脈で,領域や場面によって使われているのだと思いますが,その言葉のことよりも,今日,溝上先生が言われた,人間が主体となって,自己調整しながら自分に最適なものを選び取って,個性を自力で実現していくという筋道というか意味合いが重要なのかなと。そこにおいて共有ができればと思いました。
 以上でございます。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 それでは市川副部会長,お願いいたします。
【市川(伸)副部会長】 それでは,今日のお2人発表してくださった先生方に関連して,少しコメントということになるのですが,どちらの先生も,今回新しく出てきたいろいろな言葉について,改めてその意味をはっきりさせたほうがいいのではないかという御意見だったと思います。
 私も全くそのとおりだと思っていまして,学習指導要領で出てきた言葉,これがやっぱりどうも分かりにくいと言われることもあるわけです。それからその後,学習評価で出てきた言葉,ここでも自己調整とかメタ認知とか学習方略とか,一般の方にはどうも分かりにくいと言われている言葉がたくさんあります。
 そういう説明を,これまで私たちもしてきたわけですが,そこに加えて,今年から小学校では学習指導要領も評価も動き出しているというときに,また新しい言葉がいろいろ出てきたということで,多分,現場の先生も相当混乱しているときではないかと思います。ただ,それを私たちのほうである程度整理して,すっきりと説明できる形にするということは責任でもあるのかなと思っています。
 そこで,今日のお話に関連づけてなのですが,まず「個別最適な学び」,これを英訳から考えてみると,より意味がはっきりしてくるということで,ここに「self-regulated」という言葉を入れるというのは,私は,大胆ではありますが非常に賛成します。
 それは溝上先生も堀田先生もおっしゃったことですが,もともとは,この会議で出てきたときに,最初は「個別最適化」ということが出てきました。これがいかにも,AIのようなシステムが,あなたにとって最適なのはこれだからこれをやりなさいというような,外から与えられるようなイメージがあった。そうではないだろうという意見が出てきて,より学習者が主体的に,もちろんAIのアドバイスも参考にしていいと思うのですが,自分で決めていくという意味合いを込めるべきではないかということになった。それを,もっとはっきりさせると,今日の溝上先生のお話のようにself-regulatedという言葉を入れるほうがいいのではないかということになるのではないかと思います。私もそれは賛成いたします。
 それからもう1つ,この「協働的な学び」なのですが,既に「対話的な学び」ということが出てきている中で,新たに「協働的な学び」と。教育課程部会の議論では前から協働,協働とは言われていたんです。言われていたのですが,なぜ指導要領のときには「対話的」で,今回「協働的」なのか。意味はどう違うのか。なぜ今回は「協働的」に変えたのか。当然,疑問に思われると思います。これもいろいろな考え方があろうと思うのですが,私は「対話的」より「協働的」のほうが意味が広いのかな,ぐらいに捉えています。この会議でも出ましたが,「対話的」というと1対1のようなイメージがありました。「対」ですから,2人だったら対談ですし,3人になったら鼎談になって,もっとたくさんになると何というのか分かりませんが,集団討論みたいになっていきます。その中で,1対1の場合でも協働というのはあり得るわけですが,人数が多くなって,例えばクラス全体になっても協働ということはあり得ます。そういう意味では,「協働」というほうが意味合いが広いのかなと。
 じゃあ何で変えたんだと言われると,私は自分は非常に困ります。指導要領のときから「協働的」にしておいたほうがよかったのではないかという気もいたします。意味が広いのだったら,そのほうがよかったのではないかと。やはり変えると,何で変えたんだ,どう違うんだと言われてしまうからです。
 ただ,「対話的」という言葉をとにかくあの時は使ったと。そして今回は,個別最適と対比させるときに,1人だけではないのですよと。1人に,個に応じたというだけではなくて,もっと学習者同士のインタラクションを大事にしましょうという意味で,また「対話的」よりも広い意味で「協働的」という言葉をあえて使うようにした。
 それでどれぐらい納得していただけるか分かりませんが,もともと大きな違いのある言葉ではないので,少し意味を広げるように言葉を使ったというぐらいかなと,私は理解しています。
 それから,田村先生の御発表で,私も非常に共感するところがあったのですが,この「指導の個別化」と「学習の個性化」という言葉で,これが今回も使われたと。私がこの言葉を初めて聞いたのは30年ぐらい前だったと思います。奈須先生が一度レビューしてくれたような時代に,私も初めてその言葉を聞いて,自分でどうやってこの言葉を理解したらいいのかというときに,ちょっと悩みました。
 その時に自分なりに納得したのは,これは田村先生が書いていらっしゃるようなことなのですが,「指導の個別化」と言っているのはどちらかというと習得的な学習のことなのではないか。つまりゴールがあって,それは共通なのだけれど,どうやってゴールに達するかというのは人によって違う。つまりペースややり方が違うということです。ペースが違うというと,例えばプログラム学習のように,ペースが違っても対応できる。それからもう1つはATI,適正処遇交互作用のように,例えば子供の性格とか,いろいろな適性によって,どのやり方で学習したらいいかというのが違う。そういうときには個別化ということが大事ではないかと。
 もう1つは,ゴールそのものが違うのが個性化のほうです。例えば探究的な学習というのは,一人一人によって課題も違います。興味・関心に応じて課題を設定して,それぞれを追究していくと。となると,これは,田村先生が学習の個性化というのは探究的なものが多いのではないかとおっしゃっているのと対応します。
 ですから私は,これは,指導の個別化と学習の個性化を,教師目線から見たときと学習者目線から見たときというよりは,習得の個別化と探究の個性化と言っていただくほうが,自分にとってはすっきりします。
 今からひっくり返そうとは思いません。ただ,この言い方をするのであれば,「指導というのは割と習得的なものですよ。目標というのがあって,それに向かって指導するというときに使われるので,その時には個に応じたやり方,ルートがいろいろあっていい」という個別化ということになるでしょうし,ここで学習と言うけれど,主に探究的な学習をするときには,一人一人が自分で課題を決めて,計画を立てて遂行していく。そういう時には個性化,目標自体も課題自体も人によって違うと。これも個に応じた学習の1つのやり方であると。その両方を,今の時代に改めて「個別最適な学び」としてやっていきましょうと。
 先ほど奈須先生からも御意見がありましたように,時代が違ってきて,一昔前ならプログラム学習もATIもあまり大したことはできなかった。また,クラスでやろうと思ってもできなかった。それが今,1人1台の端末を持ってというような時代になりますと,一人一人が自分でそういう学習を選択することができるということで,実現性がかなり増してきた。それで今,改めて,リバイバルのようではありますが,現実性が高まってきた時代に,こういうことを入れていくということかなと,自分では理解して,ある程度納得したような気持ちになっています。
 以上です。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 今,発言を求めていらっしゃるのが,山中委員,それから貞広委員のお2人でありますが,確認ですが,奈須委員,再度御発言を求めているというふうに受け止めてよろしいのでしょうか。
【奈須委員】 そうです。
【天笠部会長】 分かりました。そうしましたら,山中委員,貞広委員,奈須委員という,ここまでで御発言は,時間的な関係等々で終わらせていただきたいと思いますが,よろしいでしょうか,ほかの委員の方々。ということで,よろしくお願いいたします。
 それでは山中委員,お願いいたします。
【山中委員】 東京都調布市立飛田給小学校の校長をしております山中と申します。発言させていただきましてどうもありがとうございます。
 先ほど溝上先生の発表を伺って,また,今,市川委員から,指導の個別化と学習の個性化というのは30年前ぐらいにも言われていたということも伺った上ですが,「個別最適な学び」というのを学校現場で考えたときに,指導の個別化と,学習の,特に個性化ということ,そういうふうに考えると,すっきりすると改めて思ったところです。
 どうしても,指導の個別化というほうに考え方が偏っていたので,「個別化」と「個性化」というふうに考えると,すっきりしてくるかなと思いました。
 小学校は今年度から新学習指導要領が始まって,また,中学校は来年度からですが,それとコロナのことも関連して,このGIGAスクールで,タブレット,ICTということが急速に広がっているところです。私の学校でも,遅れていたのですが,今,1人1台のタブレットが入ってこようとしています。
 やっぱり1人1台タブレットとなると,物すごく先生方の授業の仕方が変わってくるわけです。板書一つにしても,それから,今までやっていた授業スタイルというものが相当変わってくる。これはとても大きなことだと思っているのですが,物のほうはどんどん入ってきますが,学習指導要領は今つくられた学習指導要領のままです。学校現場は,タブレットが入ってきたことでいろいろ考えていかなければいけないし,タブレットは便利なのですが,本当に使い始めたら使い始めたで混乱していくのではないかなと。今までの授業スタイルというのをどういうふうに考えていくのかということを,私も校長として危惧しながら,進めているところです。これが1つ目で,学校現場はこのような状況ですよということです。
 2つ目も学校現場の話になります。タブレットをどういうふうに使っていくかということもあるのですが,それ以外にも,小学校低学年の子にタブレットを家に持ち帰らせるのに,ただでさえランドセルの中が重いのに,持ち帰りをどうしようかとか,充電をどうしようかとかの現実的な問題があります。それから,タブレットと教科書を使う場合に机上の整理をどうしようかとかの新たなルールづくりや,一斉に使い始めたら,うまくつながらなかったとかの環境の問題など,そんなことをばたばたしながらやっているところです。
 なので,現実にそういう具体的なルールのようなものも整備し,先行してやっていただいている学校もあるのですが,現実の学校では,物が急激に入ってくるのだけれど,いろいろなルールだとか,授業スタイルまで変えていかなきゃいけない現状に直面しているということを,感想としてお話しさせていただきます。
 以上です。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。それでは,続きまして貞広委員,お願いいたします。
【貞広委員】 どうもありがとうございます。千葉大学の貞広でございます。お二方の先生方に御報告をいただきましてありがとうございます。
 私はこちらの会議の一員でありながら,実は当初より「個別最適な学び」というものを,ほかの方々に誤解なく伝える自信が全くないだけではなく,部会の中で統一的な共有がなされているかということについても,もちろん,回を重ねるごとに,同じ概念で共有化されてきているという実感もございましたが,それについても若干不安もありといったところが正直なところでした。
 今回,溝上先生が英訳というアプローチからその理解と整理を促してくださったわけですが,御提出いただいたpersonalized and self-regulated learningというこの英訳,これをいただいて初めて腹落ちして納得できたように思います。まさにこれが「個別最適な学び」なのだなと。
 溝上先生も,堀田先生をはじめ複数の先生もおっしゃっていたように,やはり機器等の発達があってこそ,より高度な学びは実現されるけれど,だからこそ教師の専門的な支援と子供の自己調整された学びが必要であるということが,まさにこの英訳で伝わるということが,今日は大変な収穫でございました。
 ただ,その一方で,こうした英訳の助けを借りたほうが理解できるというか,英訳の助けをかりないとしっくりこないということは,残念ながら「個別最適な学び」というフレーズでは,説明力も推進力も賛同者の調達という面でも十分ではないということも示してしまっているのだと思います。
 審議まとめは審議まとめとして,現場の先生方にお伝えする際にはもう少し,言い回し,ワーディング,説明に工夫が必要なのだということが,まさに今日の溝上先生の御報告が示してしまったのではないかと思ってもおります。
 そこの辺りに知恵を絞っていくということもこの会議の役割かと思いますので,少しこの段階で残念なことのような意見を申し上げましたが,ちょっと現場の先生方にしっかりと御理解いただくためには,再度になりますが,少し,再度工夫が必要なのではないかという感想を持ちました。
 以上でございます。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 奈須委員,お願いいたします。
【奈須委員】 すみません再度。今日の田村先生の御議論,それから市川先生の先ほどの御指摘との関係なのですが,学習の個性化は,私も原則として探究になる。コントラストで言えば指導の個別化が習得優位,学習の個性化が探究優位だと思いますが,私自身の理解は,指導の個別化は,これは田村先生,市川先生がおっしゃったように,目標が同じ,内容が同じと。個人差があるので,そのために処遇を変えなければならないと。その中に,プログラム学習のようなものやATIのようなもの,あるいはマスタリー・ラーニングのような方法があるというのが伝統的なことだと思います。それに対して,最近のICTの発達やAI化の発達が,さらにそれを精緻で安価なものにしているということだと思います。
 学習の個性化のほうは,探究優位だと思うのですが,本質的には,今度は学習内容や,場合によっては育成する,教育的な価値が異なってくるということだと思います。その子の持ち味,将来のキャリア,それからその子の課題意識とか関心事によって,その子が学ぶ内容や,場合によっては達成される資質・能力が質的に違う場合があってもいいと。ただ,教育における卓越性においては同じであることが望まれるということだと思うんです。
 これは,ベースになっているのはやはりハワード・ガードナーの多重知能理論,つまり知性とか知能,人間の優秀さ,賢さというのは一元的ではなくて多様であって,その多様なものが同じ価値を持つというふうに考えるべきだという考え方。これはイングランドなどでも,personalized learning等として政策に用いられたと思いますし,例えばイングランドのpersonalized learningも,今回言われているのと同じで,1つは指導の個別化のように同じ内容しっかり学ぶために処遇を変える。もう1つは,一人一人の持ち味やタレントに応じて学習内容や目標を変えていくと。ただ,同じ卓越性を保障しようと。それによって教育の公正性を保障しようという考え方だったと思います。
 すると,探究だけではなくて,私は習得もあるのだと思うのです。つまり,ある子は数学的な内容をより選択して拡充させていくと。ある子は,もっと芸術的な内容を習得していくということが認められるというふうな意味で,学習の個性化というのは英国などでも私は使われているように思います。
 そういう意味でいうと,日本のかつての実践でいうと,選択教科のようなものですね。つまり,中学の教育課程として,こういう優秀さを育てたいということがあるけれど,その優秀さをどういう内容,どんな選択教科で実現するということは,その子の関心や将来のキャリアイメージに合わせて選択ができると。違う内容を学ぶのですが,それによって達成された,その子のある種の卓越性,社会的価値は等価だと考えるということが,例えば選択教科の背後にあった理念ではなかったかと思うのですが,そう考えると,探究だけではないのではないかなと。学習の内容によっては習得もあり得るのではないか。ただ,多くは探究になると思いますが。
 例えば,ハイタレント・エデュケーションみたいなことですよね。ハイタレント教育みたいなことを考えて,これは優秀な子と優秀じゃない子がいるのではなくて,一人一人がその子ならではの優秀さや,優秀さを求める方向性を持っていると。その優秀さを最大限に伸ばす。一人一人の優秀さを最大限に伸ばすことで,全ての子供の卓越性を公正に保障するということで考えれば,学習の個性化というのは,多分,統合的に理解できるのではないかなと思います。
 すみません。以上です。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。委員の皆さんからの御発言はここまでということにさせていただきたいと思います。
 この後,ここまでのところをお聞きになった溝上理事長と田村視学委員から御発言をお願いしたいと思いますが,それぞれ委員の方からの御発言も,中に既にあったかと思っておりますが,私の受け止め方としては,今回の中間まとめで提起していることの少なからずの部分というのが,既に新しい学習指導要領の提起ということと重ね合わせると,新しい学習指導要領の提起の中に既に読み込み済みというのでしょうか,入っている部分も少なからずあるということと,もう1つは,今回の学習指導要領のその先を超えて,それを超えてというか,その先のところの提起というのが,まず十分整理し切れずに,一体となって,このまとめになっているというのが現状のところではないかと思います。
 そういう点において,今日出てきました「個別最適な学び」ということと「主体的・対話的な深い学び」という,この辺りのところというのも,そういう観点から見たときに,やはり少し整理が必要になってきているということは,それぞれの委員の方の御発言の中にあったのではないかと思いますし,現場と非常につながりの深い部会という立場からすれば,やはりそこら辺はどうしても交通整理等々をする必要というのが,やっぱりあるのではないかと思うのですが,そういうことも踏まえて,例えば「個別最適な学び」の用語の必要性云々についてとか,「協働的な学び」のそういうことについてということについて,大変,お二方からの御発言というのは貴重な御発言だったのではないかと思うのですが,この辺のところを,それぞれの委員の方からの御意見等々を踏まえて,コメントをお願いしたいと思います。およそお1人5分程度という時間になりますが,まず溝上理事長からお願いしまして,その後,田村視学委員の順にお願いしたいと思います。
 まず溝上理事長,お願いいたします。
【溝上先生】 皆様,コメント,いろいろと御意見もありがとうございました。たくさん同時にいただきましたので,もう全て拾えませんが,大きなところだけ,考えを返ししたいと思います。
 今,天笠部会長がおっしゃったように,この新指導要領で,「主体的・対話的で深い学び」,カリキュラム・マネジメント等々,大きなところはすでに指摘しているのだと思います。その上で,今回「個別最適な学び」「協働的な学び」が新しい言葉として要るのかという,そこは大きなポイントになるはずです。
 私の考えを申し上げましたように,絶対ないと現場への推進ができないかというと,そんなことはないと思います。ただ,入れていく意味というか,そういうものあるかなとも他方で思っています。
 堀田委員が御尽力されているところでありますが,指導要領が出るところでGIGAスクール構想はありませんでしたし,また今回のコロナで, ICTの利用に対する重点的な推進というのが出てきておりますので,そこを現場に非常に強く訴えていくという意味で,こういう新しい言葉が重ねられるというのは,混乱を生じさせる懸念はたくさんありますが,意味はあると思います。
 私も現場を見ていて思いますが,「主体的・対話的で深い学び」で,結構「個別最適な学び」も「協働的な学び」も含み込んで説明されている嫌いはありますが,では,それでICTの利用を本格的に組み込んで,ニューノーマル,ポストコロナの学びを実現していけるかというと心許ない気持ちは正直あります。新学習指導要領は,2030年社会に向けてだったと思います。今,手元に資料がないのでうろ覚えですが,今回の中間まとめは「2020年代を通じて実現すべき『令和の日本型学校教育』の姿」と書かれてあったと思いますので,やっぱりちょっとトーンが変わったんだと思うんです,このコロナによって。そこを強調するのに個別最適,協働的な学びというのを入れていくか,そこが受け入れられるかどうかなのだと思います。
 貞広委員がおっしゃったように,やっぱりこの言葉を現場に落としていくときに,混乱は起きると思います。しかし,新学習指導要領とポストコロナの両方の文脈を含み込みながら進めていくが現実なのかなと,今のところは考えています。
 学習指導要領をしっかり踏まえて加えるということをしないと,現場は絶対混乱しますので,戸ヶ﨑委員がおっしゃったように,ここの関係,現場においては絶対気にしますので,指導要領を修正とか変えるとかそういうことではなくて,指導要領をしっかり踏まえつつも,強調点をこうして出していく。特に新しいことが加わるということはよくありませんので,奈須先生がおっしゃったように,これまでずっと進めてきた個に応じた指導というものの令和版,ちゃんと先ほど申し上げたようにGIGAスクール構想,あるいはウィズ/ポストコロナとか,そういうところでICTの重みが非常に上がっておりますので,ICTを使って何になるかとかそういうことではなくて,使っていくことが非常に求められている,そういう状況でありますので,そういう意味で,ここで新しい訴えをしていくことは,私はあっていいと思います。
 スライド9の,「対話的な学び」から「協働的な学び」への移行みたいな,これは喜名委員と秋田委員から御指摘いただきましたが,市川先生からも,ちょっとその関係みたいなコメントをいただきまして,これはすみません,私の書き方が悪いですね。
 市川先生がおっしゃるように,対話のほうが広いのか協働のほうが広いのかというのは,私は言葉だけでは決められないと思いますので,皆さんのいろいろな議論の中で,どちらが上位概念かとか考えたらいいと思いますが,恐らく,今は「対話的な学び」で指導要領が出ていますから,そっちで考えていくと,「対話的な学び」も高校,大学,社会とずっとありますし,その中で探究――探究を「協働的な学び」とイコールで置き換えるわけではありませんが,それも小学校からありますので,どちらかと言えば,私の理解としては,「対話的な学び」も小中高大,社会,ずっとありますし,しかし探究は,探究の高度化などと言いますから,小学校から高校,それから大学のPBL等を含めて,どんどん高度になっていきますので,指導要領に合わせて言えば,「対話的な学び」というのがずっと大きく柱としてありながら,その中で少しずつ「協働的な学び」のウエイトが上がっていくと,私はそういうふうに理解して書いていたつもりなのですが,すみません,この矢印はちょっと分かりにくいですね。
 最後ですが,「adaptive」ですね。皆さんのコメントは大変勉強になりました。おっしゃるとおりで,私もサビカス先生の例を挙げておりますが,adaptiveとかadaptabilityとかとか,ポジティブに使う概念というのはやっぱりちゃんとありまして,ただ,adaptationとの対比でadjustmentは結構議論されてきたということもありますので,ここら辺はもう,こうだというふうに,やはり私たちが定義していくと。これは概念を措定していくときには必ず出てくる議論ですが,言葉1つで,文脈とか,こういう言葉ですよと言っていくことは絶対できませんので,最後は定義の問題になります。おっしゃるとおりで,私もよく理解できております。
 以上です。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。
 続きまして田村視学委員,お願いいたします。
【田村先生】 本日は大変ありがとうございました。皆さんの御意見を踏まえて,最後の自分の考えを伝えさせていただきたいと思います。
 先ほどのスライドを少し使いながら御紹介できればと思いますが,1つは,秋田委員からお話がありました電子書籍のところのスライドをそちらで出していただくことはできますでしょうか。
 こちらのスライドに出てきたとおり,まさに探究的に学んでいくに当たっては,あるいは探究のみならず習得していることにおいても,まさに子供たちがたくさんの情報,あるいは多様な情報を手に入れることが不可欠になってくるのだと思いますし,これからの子供たちのことを考えれば,それが非常に手軽に,アクセスしやすいという状況が出てきている中で,まさに電子書籍のようなもので,より確かな情報を質量ともに安定的に確保できるということは重要なことになると思いますし,こういったものはデジタルデータですから,より保存が利く,あるいは加工ができるということになると思います。
 さらに言えば,子供たちがこういった学びを通して新たな知をクリエートするに当たっては,自分の周りにたくさんの外づけハードディスクをつけておいて,そこから多様な情報を大量に手に入れ,自らの中で知を再構築していくのだという感覚を手に入れていくことが重要ではないかと,改めて考えさせていただきました。
 もう1つが,こちらのほうのスライドになります。まず1つ目が「協働的な学び」について,先ほど市川委員のほうからお話があったことについて,自分の考えを申し上げたいと思います。
 おっしゃるとおり,平成26年11月の大臣諮問の中で,いわゆるアクティブ・ラーニング,これが「主体的・協働的」と書かれていたわけですが,「アクティブ・ラーニング」という言葉があまりにも活動性を強調するイメージが強かったこともあり,「主体的・対話的で深い学び」と修正した経緯があったかと思います。
 その意味では,「主体的・対話的」の「対話」のときは,どちらかというと知識や情報をやり取りする,バーバルなものもノンバーバルなものも入ると思いますが,そのやり取りの中において,自らの学びをより認知的にも確かに上げていこうという意味合いがあったのではないかと思います。
 ですから,市川委員がおっしゃることと同様のイメージを持っていまして,「協働的」のほうが「対話的」よりも少し広いイメージがあって,そのイメージとしては,より活動性といったものもそこに含み込む。つまり,言葉のやり取りのみならず,一緒に物をつくるとか,一緒に行動を起こしてアクションをしていくとかいう,社会参画やものづくりみたいなものも含まれてくるというイメージで捉えていくことが重要ではないかと思います。このことが,より子供の学びを確かにしていくということで,先ほど総合的な学習の時間の価値分析の中に活動という側面を入れたのは,その辺のイメージを持っているところです。
 さらに3つ目のことになりますが,ここに書かれている「主体的・対話的で深い学び」と「個別最適な学び」と「協働的な学び」を並列に書いたのは,実はどちらも同じ,期待されるような,まさに豊かな学びなのだと。
 しかしながら,能動的といった面にかなり光を当てて,学校の教室などで行う授業といったものにぐっとフォーカスするならば,「主体的・対話的で深い学び」といった言葉が大きくクローズアップされ,もう少し,学校はもちろん,学校を超えた,もっと時間的にも空間的にも広い子供たちの学び,しかもそこで一人一人の子供に確かな学びが実現されるということにぐっとフォーカスした文脈においては,「個別最適な学び」と「協働的な学び」というふうに捉え,両者は同じものなのだけれど,光の当て方が違うといいますか,そういったものとして考えたときに,これからまさにこのオンラインといった中で,ICTを使ってGIGAスクールといった中では,こういう物の考え方が重要なのではないかというふうに展開してきたのではないかと,自分の中では整理をし,捉えてきました。
 その中で,先ほど出てきた「指導の個別化」と「学習の個性化」のことです。市川委員がおっしゃったようなイメージを持ちながら考えてまいりましたが,奈須委員がおっしゃったとおり,習得と探究とあえて書きましたが,この両者はきれいに二項対立といいましょうか,峻別できるものではなくて,極めてグラデーションがかかっているものということであり,多分,「指導の個別化」においてもより探究的なことがあるでしょうし,「学習の個性化」においてもより習得的なことがあるのではないか。しかしながら,若干その色合いが強調されるということになるかと思います。
 ただ,この言葉を使うときに若干悩ましかったところは,「指導の個別化」のほうに書いてある「効果的な指導や柔軟な設定を行う」の主語は,どちらかというと「教師」という言葉になるわけです。一方,「主体的に学習を最適化する」のほうは,「子供」が主語になってくるということです。その意味においては,「指導の個別化」のほうは,ややもすると教師の指導の側面が少し色濃く出て,「学習の個性化」のほうには子供の学びの側面が出てくる感じがするわけです。
 しかしながら,その上位概念の「個別最適な学び」と「個に応じた指導」の段階で,子供の学びと教師の指導を整理していることによって,整理が複雑化してしまうところが生じているのではないかというところがありまして,今回は,このような面を若干強調して書いてみたところであります。
 ですから,もう一度この全体のところを,全体像を整理してみるということも,一定程度必要になってくるのではないかなと,今日,御議論を伺いながら感じたところです。
 ただ,どちらにしましても,今後よりICTやGIGAスクール構想などで,一人一人の子供たちが,自らの学びを,学校というところを核としながらも,時間や空間を超えた中で,より自律的に自らで調整しながら学習していかなければいけないということは,およそ重要なことだと思いますので,このような形をどのような言葉とどのような整理によって分かりやすく伝えていくかということを,やはりまた皆さんと一緒に考えていきたいなと思いました。
 その意味では,最終的には,これまで以上に学校という存在の意味や価値は,先ほど最後に整理をしましたが,教育課程の存在,あるいは教師のより質の高い指導力,そして学び合う仲間の存在という点からも,さらにこれまで以上に求められる学校の存在理由,存在価値ということになってくるのではないかということを,改めて考えさせていただきました。
 おかげさまで大変多くの学びを得ましたし,これからの学校教育にまた豊かな何らかのアドバイスができるような,少しの助言になればということで,私のほうからの意見は以上にさせていただきます。大変ありがとうございました。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。それでは,この件についてはここまでということにさせていただきたいと思いますが,御発言をいただけなかった委員の皆さんがいらっしゃいましたら,申し訳ございませんが,後ほど事務局にお伝えいただければと思いますので,よろしくお願いいたします。
 それから,もう1つ,今日取り上げさせていただいてということで,若干時間が延びることになるかと思いますが御了承いただければと思います。
 それは議題3の,学習指導要領コードについてということで,事務局から説明をお願いいたします。
【桐生学びの先端技術活用推進室長】 初中局の学びの先端技術活用推進室長の桐生と申します。学習指導要領コードについて御報告いたします。
 1ページめくっていただきまして,初等中等教育における教育データの標準化といったことで,1枚ペーパーがございます。
 これは何をやっているかと申しますと,GIGAスクール構想によって1人1台の端末が入ってきたということで,様々な議論が起きておりますが,この中でスタディ・ログが取れているのではないかと。デジタルデータがたくさん取れることで,スタディ・ログが取れていくではないかとか,あるいは,そのデータをビッグデータとして様々な分析ができるのではないかといったような御議論をいただいております。
 そうしたことを進めていく上で,現状ですとソフトやツールごとにそれぞれの言葉や意味するところが違っておりますので,やはりデータの意味と内容の定義をしていかないと,そういったスタディ・ログとしての活用やビッグデータ活用といったことはできませんので,我々としまして,教育データの標準化といったものを進めていこうと考えております。
 1ページめくっていただきまして2ページを御覧いただきますと,教育データの標準の枠組みということで,我々のほうも教育データの有識者会議というものを設けておりまして,本部会でいいますと,堀田委員,戸ヶ﨑委員にも委員になっていただいていまして,御議論をいただきながら進めているところですが,その御議論の中で出てきているところで現在申しますと,この枠組としまして,3つの大きな点に分かれるのではないかと考えております。
 1つは「誰が」という定義。主体情報ですね。2つ目が内容。どのような分野があって,どういったものを対象とするのかといったこと。それから,どういった活動をしているのかといった活動情報の,この3点があるかと思いまして,これを,できるところから定義していこうと考えております。
 今回,第1版として定義いたしましたのは,2番の内容情報のうちの学習分野であります。学習指導要領コードということになっておりまして,この黄色を付してある分野です。
 これを先週,公表させていただきまして,今度,第2版としては学校情報の学校の一つ一つにコードをつけていくといったことや,共通で必要なものというのを,また来年春に向けて第2版ということで公表していこうと考えております。
 3ページを御覧ください。学習指導要領のコードは,この下の表にありますように,学習しているテキスト一個一個に,一定のルールを基にコードを付していくといったものでございます。分量がかなりありますので,10月,11月,12月,それぞれ段階を分けて,順次スケジュールを持って,このスケジュールで公表させていただきたいと思っております。
 4ページを御覧ください。活用のイメージですが,それぞれの教材,デジタル教科書あるいはツール,デジタル教材,デジタル問題集といったようなこと,あるいは博物館のデジタルアーカイブといったものにもコードを付していただくと,それを学ぼうと思ったときに,例えばこれは織田信長が載っていますが,織田信長のデジタル教科書のページから簡単に連携して検索ができるといったことが,まず1つございます。また,それぞれの児童・生徒の学びのストックとして,どの分野を学んでいったか,あるいは指導要領のうち,どの分野を今回学校で学んだ,あるいは教材で学んだといったようなことがストックしていけるといったことになっております。
 これは,先生や児童・生徒が直接このコードを打ったり扱ったりするということはなくて,あくまで教材間の連携として,裏で動いていくものと捉えていただければと思いますし,この例ではたまたま1個だけが付してありますが,1個に限らず,2つ3つ4つといった形の指導要領のコードが振られるといったことも想定していると考えております。
 5ページを御覧いただきたいのですが,5ページは先生のほうから見た例ということで,先生が何かを教えたいといったときに,それぞれの教材や研修動画,指導案の例といったものも連携して検索できるとともに,その指導の記録がストックされていくといったイメージで考えております。
 6ページは,具体的な振り方のイメージを参照しておりますが,それぞれの桁ごとにコードの意味を持たせてやっております。これは,それぞれの桁ごとの意味は何であるかというのも公表しております。
 7ページに,それぞれのステークホルダーごとに想定される効果といったものを挙げておりますが,かなり広範な利用を期待されると考えておりますので,文科省としましても,教材を開発される方はもちろんのこと,広く共通で使われるようなコードとしていて,それをまた使われやすいような形のシステムというものも,我々も開発していこうと考えておりますので,これをまた皆さんに使っていただくことで,新しい指導要領の学びを中心としたデータを,また生かした形での学びというものを進めていければと考えております。
 御報告は以上でございます。
【天笠部会長】 どうもありがとうございました。委員の方から何か御質問,御意見はありますでしょうか。
 それでは,もし御意見等々がありましたら,事務局のほうに寄せていただければと思いますので,どうぞよろしくお願いいたします。
 ということで,本日の議事は以上ということにさせていただきます。事務局におかれましては,本日の意見を受け止めていただき,今後の審議に生かしていただければと思います。
 なお,本日御発言いただけなかった意見,あるいは補足意見等々がありましたら,メール等々で事務局までよろしくお願いいたします。メールでお寄せいただいた意見等々につきましては,他の委員に共有し,ホームページにも公表することを予定しておりますので,御承知おきいただければと思います。
 最後に,今後の予定につきまして,事務局からお願いいたします。
【板倉教育課程企画室長】 長時間の御審議ありがとうございました。次回の教育課程部会の日程は追って連絡いたします。
 以上でございます。
【天笠部会長】 それでは,予定しておりました議事は全て終了いたしました。これで閉会したいと思います。どうもありがとうございました。

―― 了 ――

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